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旭川地方裁判所 昭和34年(ワ)84号 判決 1960年11月14日

原告 笠原晴雄

被告 国

訴訟代理人 宇佐美初男 外五名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は、「被告は原告に対して金百万円を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及びその仮執行の宜言を求め、その請求の原因として、

「一、原告は、中川郡美深町字恩根内五七番地の二、畑一町歩、及び同所二六番地の一、畑七反一畝一〇歩の二筆の農地を所有しているものであるが、昭和三二年一〇月九日、北海道知事田中敏文は右農地を自作農創設特別措置法第三〇条による買収であると称して買収し、その所有権を農林省名義に移転登記した。

二、右二筆の農地については、昭和二五年二月一日、原告は美深町農地委員会より自作農創設特別措置法第三一条によつて買収計画を樹立した旨の通知を受けたので、異議申立、訴願をし、また、札幌地方裁判所に訴を提起したところ、北海道開拓部より右買収計画は錯誤に基くものであり、昭和二五年一一月二〇日以降は買収の効力が喪失しているという通知を同日付で受取つたことがある。

三、しかるにその後八ケ年を経た昭和三二年一〇月五日頃、北海道知事田中敏文は前記農地買収を有効であるが如く装い、買収令書謄本並に買収令書受領書謄本を偽造し、これを用いて前記買収登記手続をなしたものである。また、当局の係員等も、本件買収登記をするにつき、充分な調査もせず、原告対して問合せもしないで誤つた手続をしたものである。

四、右の不法行為により原告は次のような損害を受けた。

(一)  原告は昭和三二年春頃、前記農地を含む合計七町歩の土地を他に売却して、その代金で事業を起す予定にしており、その後該土地を一段歩金三万円で買受ける旨申出たものがあつたが、本件農地の登記名義が農林省となつたため、昭和三二年九月二一日右売買の話は破談となつた。従つて原告は一反歩金三万円の割合で七町歩金二百十万円の売買代金に相当する損失を招いた。また原告は右売買が破談となつたため、代金額相当の事業資金を銀行より借入れねばならなくなつた。そこで右売買が破談となつた昭和三二年九月二一日より完済に至るまで、売買代金である金二百十万円に対する日歩三銭六厘の割合による銀行利息に相当する損害を受けた。

(二)  本件農地は原告の先代が明治三五年以来開拓して、ようやく作り上げたものであるが、その登記簿上には買収処分をなした旨の汚点を残された。また、突如無法な買収登記を受けたことにより、原告及びその家族は恐怖にさらされ、精神的に甚大な打撃をうけた。その一例として、昭和三二年一〇月九日原告の妻笠原アイは右買収によるショックをうけ、四日間病床についた。以上は金銭に見積ると金五百万円に相当する精神的損害である。なお、本件買収登記は道知事がその後、非を認めて昭和三二年一二月二日付をもつてこれを抹消したけれども、すでに生じた右精神的損害はとり返しのつかないものとなつている。

五、以上の損害は、国の機関である北海道知事又はその所属員がした不法行為によるものであるから、国家賠償法の規定により国が賠償の責任を負うべきものである。そこで原告は国に対し、右の損害額合計金七百十万円と、内金二百十万円に、対する昭和三二年九月二一日より完済まで日歩三銭六厘に相当する利息のうち、金百万円の支払を求める。」

と述べ、立証<省略>

被告指定代理人は請求棄却の判決を求め、請求原因事実中、

一、二を認め、その余を否認し、次のとおり述べた。

「一、訴外美深町農地委員会は、昭和二四年一二月一〇日付で自作農創設特別措置法(以下自創法と略称する)第三一条の規定に基いて、買収期日を同年三月二日とする未墾地買収計画を樹立し、所定の手続に則つて右計画を公告し、縦覧に供したが、原告より昭和二五年二月一八日付で右計画に対し異議の申立があつたので、美深町農地委員会はこれを審議の上棄却した。右異議申立棄却に対して、原告より更に昭和二五年三月二五日付で訴外北海道農地委員会に対して訴願の提起があつた。ところが北海道知事は前記北海道農地委員会の右訴願裁決前に昭和二五年七月二日を買収期日と定めた買収令書を美深町農地委員会経由で原告に交付した。原告は北海道知事を被告として札幌地方裁判所へ昭和二五年一〇月一三日付で未墾地買収取消の訴を提起した。北海道知事は、本件買収処分について、(イ)訴願採決前に買収令書を交付したこと。(ロ)本件買収地の大半は現況農地であること。の各事実が判明したので昭和二五年一一月二〇日付をもつて右買収処分を取消した。而して右取消当時は原告の知事を被告とする前記訴訟は係属中であつたので、北海道知事は原告に対して早急に取消書を交付すべく、特に美深町農地委員会を経由せしめないで、直接原告に取消書を送付するとともに、同委員会に対して取消通知書を送付したが、如何なる事情に基因するものか取消通知書は右委員会に到達しなかつたため、右委員会においては、取消の事実を知悉しなかつた。

二、昭和三二年に至り、被告国が自創法によつて買収した農地、未墾地、牧野等の登記の移転が遅れているものがあつたので、被告の機関である北海道の各支庁において、これが嘱託の登記を各農業委員会に督励していた。ところで本件は前記のごとく、買収取消の通知が美深町の農地委員会に対し、何等かの事情で到達していなかつたので、美深町農地委員会の事務一切を引継いだ美深町農業委員会は、書面の上では未だ買収になつているものと信じ、前記北海道知事の嘱託登記励行の督励に応じて、美深町農業委員会にある買収令書謄本(自創法当時、知事が買収令書を土地の所有者に交付するに際しては、自創法第四四条、自作農創設特別措置登記令第六条の規定に基ずく登記の附属書類たる買収令書謄本等は原本により之を作成し、買収令書交付後直ちに右謄本を現地農地委員会に送付する取扱いであつた)を添付して嘱託したもので、原告主張の如く買収令書を偽造して不法に嘱託登記をしたものではない。なお右の登記嘱託は買収令書の謄本のほか更に買収令書受領書謄本をも添付して嘱託したものである。但し、右嘱託は自創法第四四条に基く自作農創設特別措置登記令第六条によつてしたものであるが、受領書の謄本は添付する必要がないのに、新農地法の手続により必要ありと誤解してこれを添付したものであり、本来無用な蛇足をとつたものである。

三、而して、原告所有の本件土地につき誤つて買収登記がなされたのは昭和三二年一〇月九日であるが、同月一八日原告が農地委員会に出頭して当該土地に対する道知事の買収取消通知書を提示して速かにこれが取消方要求があり、これに対し同委員会においては、道知事より当該取消通知を受けていないため、直ちに右抹消登記手続はできないので二、三ケ月猶予方申入れ原告もこれを了解した。そして抹消登記は同年一二月二日完了し同月五日その旨原告に通知したものである。従つて仮に原告がその主張のような損害を受けたとしても本件の誤まつた買収登記との間には何等相当因果関係は存しないものである。」

と述べ、立証<省略>

当裁判所は職権をもつて原告本人尋問をした。

理由

原告が中川郡美深町字恩根内五七番地の二、畑一丁歩及び同所二六番地の一畑二町七反一畝一〇歩を所有しているものであり、昭和三二年一〇月九日北海道知事田中敏文が右農地を自創法第三〇条による買収に基くものとしてその所有権を農林省名義に移転登記をしたこと、及び右二筆の農地についてはそれより約七年以前である昭和二五年二月一日美深町農地委員会より自創法に基く買収計画樹立の通知が原告に対してなされ、原告はこれを不服として適法な手続をへて札幌地方裁判所に提訴したが、その後右買収計画は錯誤に基くものであつたとの理由により昭和二五年一一月二〇日以降はその効力がない旨の通知が、同日付をもつて北海道開拓部より原告に対してなされたものであることは、いずれも当事者間に争がなく、また本件の農林省名義の移転登記手続は昭和二五年に取消した筈の前記買収処分につき北海道知事より美深町農地委員会に対する連絡が不十分であつたことが原因で誤つてなされたものであつて適法有効な買収処分に基いてなされたものでないことは被告の自ら認めるところである。

ところで原告は右の買収登記は北海道知事田中敏文が昭和三二年一〇月五日頃、既に昭和二五年に取消した筈の農地買収処分を有効であるが如く装い、その買収令書及び同受領書の各謄本を偽造し、これを用いて前記買収登記手続をなしたものであると主張するのでこの点について判断する。

まず買収令書謄本の偽造の点についてはこれを認めるに足りる証拠はなく、却つて成立に争のない甲第五号証の一、二、同第一九号証、乙第七号証、証人小島等の証言によれば、本件買収令書は昭和二五年七月二日北海道知事田中敏文の作成名義により発行され、同年九月二八日に美深町農地委員会より原告宛送付せられたものであるが、その謄本は同年七月二八日付をもつて適法に作成されたものであることを窺うことができる。つぎに買収令書受領書の謄本の偽造についてであるが、これは、成立に争のない甲第五号証の一によれば、買収令書の原本は一枚の用紙の左側約半分がこれに充てられ、右側の残りの部分は必要な箇所に署名捺印さえすればこの令書の受領書並に買収対価受取のための委任状ができるようになつているいわば受領書と委任状との原案がついており、買収令書との間は切取線と表示された点線で割されていて、買収令書の交付を受けたものは早速(本件では昭和二五年一〇月一五日まで)にその受領書と委任状の各署名欄に署名押印のうえこれを買収令書から切り離して、取扱の官庁である北海道庁用地課長宛に送付するよう農地委員会長よりの指示書が同封されて送られてきていること、及び原告は本件買収令書を受取つたが、受領書にも委任状にも押印せず、また切取線に沿つてこれを令書から切り離すこともせず、今日まで所持していることを認めることができ、この認定を覆す証拠はない。そうだとすれば被告側より何等この点についての反証のない本件においては、本件買収登記の嘱託のために使用された買収令書受領書謄本はその原本なくして知事又は知事の職務を代行する道庁職員の手によつて違法に作成せられたものと推定せざるをえない。尤も被告は本件の登記嘱託は、自創法第四四条に基く自作農創設特別措置登記令第六条によつてしたものであるが、受領書の謄本はこれを添付する必要がないのに新農地法の手続により必要ありと誤解してこれを添付したものであり、本来無用な蛇足をとつたものであると主張しているけれども、農地法施行法第二条第二項によれば、本件登記手続は買収当時の法規に従つてなさるべきものとされ、従つてその手続は自作農創設特別措置登記令によらねばならないのであつて、同令第六条によれば、買収登記の嘱託書には買収令書の謄本と「自創法第九条一項……の規定による交付又は公告のあつたことを証する書面を添付しなければならない。」ことになつており、右のうち、交付のあつたことを証する書面とは、買収令書の受領書又は知事の認証したその謄本を意味するものと解すべきであるから、本件受領書謄本の添付は必要がなかつたのでもなく、無用な蛇足をとつたものでもない。

ところで農地買収登記の手続は知事が法令により国より委任せられた事務であるから、知事が右登記手続に際して故意又は過失により違法に個人の権利を侵害した場合は、国の公権力の行使に当る公務員がその職務を行うについて、故意又は過失により違法に個人の権利を侵害した場合に該当するものと解すべきであつて、国はよつて生じた損害の賠償する責に任ずるものであること、国家賠償法第一条の規定によつて明らかである。そして前記認定事実に基けば、本件買収登記は有効な買収処分がないのに拘らず、知事がこれあるものと誤認し、且つ、法に違買収令書受領書謄本を作成してなしたものであつて、知事の過失により違法に原告の権利が侵害されたものというべきであるから、被告国はこれによつて原告に損害を生じたならばこれを賠償する責任があるものといわなければならない。

そこで次に原告が右不法行為によつて損害を受けたか否かについて判断する。

まず、原告は本件買収登記がなされたために土地を売却して得べかりし利益金二百十万円を喪失した旨主張するので、この点より判断する。

証人神元利三郎の証言によつて成立の真正を推認しうる甲第八号証、及び同証人の証言並に原告本人尋問の結果を綜合すると、原告は昭和三二年九月初旬頃訴外神元利三郎に対して、本件の、誤つて買収登記のなされた土地を含めた七町歩の農地を一反歩金三万円の代価をもつて売渡す話をすすめていたところ、その後本件買収登記がなされたため、これを知つた神元より同年一〇月一五日、原告に対し、右売買の解消の申出があり、その結果右売買は破談となつたことを認めることができ、この認定に反する別段の証拠はない。ところで原告は右事実に基き、原告がその代価たる金二百十万円の損害を受けた旨主張するが、前記認定のように本件売買は破談となつたのであるから、原告は売却によつて失うべき農地の所有権を失わなかつたのである。従つて原告が本件不法行為と相当因果関係にある損害として計上しうるのは、右農地の当時の時価が本件売買価格(一反三万円)よりも低額の場合に(もし高額ならば、むしろ損失を免れたのであつて、損害は生じなかつたこととなる)その時価と売買価格との差額でなければならない。しかるに原告はこのような主張も立証もしないで、あくまで売買価格自体を損害額として主張するので、この限りでは損害の額はもとより、損害の有無も確定できない。

次に原告は金二百十万円に対し昭和三二年九月二一日以降完済まで日歩三銭六厘の割合による銀行利息を請求しているので、この点について判断する。原告本人尋問の結果及びこれにより真正に成立したと認めうる甲第三、第四号証によれば原告は昭和三二年一一月五日、名寄信用金庫より金二百万円を利息日歩三銭六厘で、また同年中に美深町農業協同組合恩根内支所より金十五方円を利息日歩四銭五厘で借受けたごとくであるが、さらに成立に争のない乙第一、第二号証によれば、名寄信用金庫より原告が借受けた金二百万円は昭和二七年六月七日、金八十万円、昭和三二年八月一〇日金二十万円、同月九月四日金二十万円、同月九月三〇日金二十万円、同年一一月一八日金三十万円、同年一二月二〇日金十万円、同年一二月二八日金二十万円を合計したものであり、また美深町農業協同組合恩根内支所より原告が借受けた金員は、昭和三二年一〇月一四日金一万五干円、同年一一月四日金二万円、同年一二月二五日金三万円、同月二六日金五万円、昭和三三年一月二四日金五万円の合計金十六万五千円であるがこれに対し昭和三二年一一月一八日金三万五干円、昭和三三年一月一八日金三万円合計金六万五千円返済され、昭和三四年一月当時は金十万円を借受けている状態であることを窺うことができる。

以上の事実からすれば、本件売買の破談となつた日は昭和三二年一〇月一五日であること前記認定のとおりであるから、右破談の後に原告が借受けた金員は名寄信用金庫より金六十万円であり、また美深町農業協同組合恩根内支所よりは金十万円であつて、しかもいずれも一時に全額を借出しているものではなく、またそれらの金員がいかなる用途に費消せられたかも明らかでないので、以上の事実だけからではとうてい本件不法買収登記と右金員の借受けとが因果関係にあるものとは認めがたく、他にこれを認めるに足りる証拠がないのでこの点についての原告の主張も採用できない。

そこで次に精神的損害について判断する。

原告は(一)本件買収登記により、原告の先代が明治三五年以来開拓して作りあげた登記簿上に買収処分をなした旨の汚点を残されたこと、(二)買収処分の登記を受けたことにより、原告等家族は恐怖をうけ、とくに原告の妻笠原アイが買収によるショックのため昭和三二年一〇月九日より四日間病床についたことをあげて精神的打撃をうけたと主張している。しかし右(一)については、本件の誤まつた登記が昭和三二年一二月五日に抹消せられたことは当事者間に争がないのであつて、右の抹消によつて精神的打撃は回復せられたものというべきである。尤も登記簿上には買収せられた旨の文字が抹消の線とともに事実上残存するけれども、これをもつて汚点と考え、精神的打撃を受けた旨主張するためには、通常人の予想しないものであるから、特別の事情による損害として、原告は被告においてこれを予見し、または予見し得べかりしものであることを主張立証しなければならない。しかるに本件においてはそのような主張立証がないので右(一)の事情に基く損害は認めることができない。また(二)の点については、原告本人尋問の結果及びこれにより真正に成立したと認められる甲第六号証によれば、原告等の家族が本件買収登記の事実を知つた時には事の意外なために驚いたこと、及び昭和三二年一一月頃原告の妻笠原アイが医師加藤斌の診断を受けに行つたことはいずれも認められないことはないが成立に争のない乙第三号証によれば、右の笠原アイの診断は、原告がとくに加藤医師に頼んでして貰つたものであり、笠原アイ自身は加藤医師に対して体の工合は「現在どこも悪いところはない。」と述べたため、実際には診療も投薬もしなかつたものであることが認められ、そして、また原告本人尋問の結果によれば、原告が本件買収登記の事実を知つたのが昭和三二年一〇月一〇日頃であることが明らかであるし、さらに、前述のとおり、本件買収登記は同年一二月五日に抹消せられたことは当事者間に争がないところである。そして以上の事実よりすれば、結局原告は本件の誤まつた買収登記によつて多少の精神的な動揺をうけたけれども、昭和三二年一二月五日、右登記が抹消されたことによつてその精神的損害は回復したものであると解すべきであり、また笠原アイのショックに就いては、そのような事実が認めがたいばかりでなく、日時の関係からいつても本件買収登記との因果関係も明らかでないうえ、右笠原アイが精神的動揺を受けたからといつて、それが直ちに原告月身の精神的損害とはならないこという迄もない。よつて原告の精神的損害についての(二)の主張もまたこれを認めることができない。

よつて、原告の本訴請求はその理由がないので、これを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用のうえ、主文のとおり判決する。

(裁判官 小木曽競)

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